気楽に行こう!

還暦を迎えてからの暮らし…いろいろ

振り返る…6。

父が逃亡先から帰って来た。
私は、中学生。
帰って来た父を冷めた目で見ていたと思います。


ちょうど母も知人に情報を教えてもらい、勉強して公務員になることができました。
父は、帰って来てからもタクシー運転手をしていたと思います。
母が公務員になり、収入も安定し・・・


が、その頃からか?それ以前か?


父のギャンブルが少しずつ始まりました。
タバコが嫌いなので、パチンコや麻雀は行きませんが、競馬、競輪はしていたようです。
まだ露呈はしていませんでしたが、借金は確実に蓄積されてたと思います。


私が、高校3年生・・・弟は中学3年生でした。
父が、これからは女性も働く時代。手に職をつけて資格も取らなければいけないと言い出しました。
それは、確かに的を得てると思いましたが。
もう私や弟の進路を勝手に決めているのです。
私は栄養士コース。
弟は機械科?だったと思います。


やはり、私の家は・・・父=絶対でした。
私も弟も父の決めたコースに進みましたが。
その後は。
私は栄養士とは違う資格を取り30年活用しています。
弟も機械科に入りましたが、彼も医療の道に進んで30年位になると思います。
自分の進む道を自分で決めて、父からの操り人形?から脱出できたのかもしれません。




私も弟も就職し給料の一部を毎月積み立てをしていました。
借金で首が回らなくなった父は、私達子供の貯金にまで手をつけるようになりました。
母の給料も自分の給料もギャンブルに注ぎ込み、生活費は借金。
借金が、たちまちに膨れ上がりました。
それを止めれなかった母もアホです。


母は精神的に追い詰められていました。
仕事はかろうじて行っていましたが、幻聴に悩まされるようになり、心療内科にもかかりました。
その時の私は、母を可哀そうだとは思いませんでした。


夫婦の問題は、共同責任だと思ったのです。
母に苦労をさせている父は当然悪いけど、それを(ギャンブルや暴力)を許してしまう母も同罪だと。


なので、早く家を出たくて出たくて仕方がありませんでした。
職場は十分自宅から通える範囲でしたし、あの当時は、結婚前の娘の独り暮らしなんて少なかった時代。
家を出るには、結婚・・・結婚して出で行くしかなかったのです。


私と同じように家を出たくて、結婚すれば・・・と考えていた人。
それが今の主人です。
よく考えてみると、主人も機能不全家族で育ったのかもと思います。


明日からは、主人と義母の過去を振り返ってみます。

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