気楽に行こう!

還暦を迎えてからの暮らし…いろいろ

振り返る…4。

小学1年生の冬に引っ越した私達家族。

父も母も。引っ越しはしたけど、ひと月位はパン屋で仕事をしていたように思います。

それからは、父も無職。母も無職。

何件かのパン屋を当たり就活をしていたようですが、雇う立場から雇われる立場に変わるのは大変だっただろうと想像します。




私達が引っ越した公団住宅は3DKで、まだ私も弟も小さかったので十分な広さでした。
両親が、パン屋を辞め無職となってから、団地の1室の襖を閉めて父と母がよく話をしていました。
たぶん、子供には聞かれたくない事、お金の事や再就職に関する事だったと思います。

引っ越してすぐの・・・ある日。
母が泣きながら父にすみません、すみませんと言う言葉が聞こえました。
慌てて飛んでいくと、父が、あっちに行ってろと。
母も少しでも家計の足しにと思ったのでしょう。
私達が元住んでいた市のスーパーのレジで働こうと思うと、母が父に言ったようでした。

父は。
元住んでいた市のスーパーなんかで働いたら、何を言われるか?

パン屋の次男は、家を放り出されて、嫁さんをスーパーで働かせていると言われる。
かっこ悪い事をするな!
と言うような事を言っていたような?

襖を閉めていても母が父から叩かれているのや怒られているのはわかりました。


母は、父に従順な人で反抗や自分の意見も言わない人でした。

母の実家は遠方でしたし、近所にいた大叔母にも父の愚痴は言ったことがないと思います。


結局、母は。

そのスーパーで働く事を諦め、人目につかない遠い職場で働く事になりました。
朝、7時には家を出て帰りも19時を回ります。
私は、小学2年から…弟の世話をしました。
母が帰るのが遅く、弟がお腹が空いたと…私は見よう見まねで卵を焼いたりして弟に食べさせました。


母が可愛そう・・・私がしっかりしないとと無意識のうちに自分の意識に刷り込んでいったのだと思います。

が、パン屋にいたら、こんな思いをしなかったのにと、父を恨みました。


子供ながらの私の気持ちは。

父にはパン職人を辞めて欲しくなかったです。
父のパンが好きでしたし、美味しかったです。
そして、子供ながらの損得勘定?
パン屋に居た時は、裕福と言うほどではなかったけど、そこそこ裕福?
お客さんや近所の人、従業員の皆さん。
みんな、私の事をお嬢さん扱いしてくれました。
団地に行った途端、その繋がりもなくなり、先が見えない生活の始まりでした。
日々、オヤツをもらう事もなく、自分の好きな習い事に行けるわけでもなく…
何が原因かわからないけど、なんでこんな生活になってしまったのか?と思いました。
ある意味、私にしたら転落でした。

父が、母の事を叩いたり、怒ったりしたのを知ってしまったので余計に父を恨みました。


自分の勝手で?パン屋を出て、何で母を起こるの?

父をひどい人、今で言うモラハラと思い始めた時でした。


これを書いているうちに、自分の実家は機能不全家族だったんだなと思いました。

昔は、そんな言葉もなく。

それが当たり前なんだと思っていました。


そして私は、アダルトチルドレンだったんだと。

それを知らずに60年も生きて来ました。

生きづらいと、思ったこの数年…


これが原因だったのかと・・・変に?納得できました。

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