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還暦を迎えてからの暮らし…いろいろ

私の病気と夫…その2。

58歳3ヶ月で右目の視力をほぼ失い。
義母のとんでもない言動で血圧の薬のお世話になる始末。


そんな中、あの当時はまだ。
自分が妄想した?(次、どんな病気になってしまうんだろう?)不安や恐怖に苛まれていました。
そう。普通では、考えなくも良いことを考えていたのです。


いくら前を向こうと思っても…堂々巡りで不安が増すばかりでした。
術後、1年が過ぎたころ。
本当に悲しいことに愛犬が急逝してしまったのです。
原因もわからず、私は悔やんでも悔やみきれませんでした。
不安定な気持ちの中、私は自分を責めました。
そんな中、夫から暴言を吐かれました。
簡単に言うと…愛犬の死は私の責任みたいな事です。


一緒にいた息子も嫁さんも驚いていました。
息子が、「愛犬が急逝して悲しんでるのは皆同じ。一番悲しんでいる母親(私)に対して何で?今、追い打ちをかけるような言葉を吐く?」と言いました。
が、夫は暴言を捲し立て続けていました。


多分、夫も悲しくてやりきれなかったのでしょう。
夫も気持ちの持って行き場がなくて、私を責めているのだと思いました。
なので、夫の暴言を泣きながら黙って聞いていました。



本当に義母と夫はよく似ていて、口の暴力が半端ではないです。
相手の事をかまわず、自分の感情で言いたいことをぶちまけてしまう所があります。
言って感情を吐き出したら、後はネチネチ言いませんが。
自分が、どれだけ酷いことを言ったか? 忘れます。
それによって相手がどれだけ傷ついたか? 関心がありません。


当時(1年前)の私は、まだ不安と恐怖な精神状態⇒愛犬の死で悔恨と自責の念⇒夫に追い打ちのように暴言を吐かれて。


とうとう不安症からパニック障害のような症状が出るようになってしまいました。


普段通り仕事や生活をしていても…寝ている時でも。
なんかのスイッチか入ったように、不安な思いがよぎり心臓がバクバクし息苦しくなってしまうのです。


この右目とは、一生付き合っていくしかないと納得はしました。
が。
心の病気は、一生付き合って行くものではない、自分が壊れてしまうと思いました。
で、昨年の夏から漢方のお世話になっています。
色々な漢方薬を試して自分の症状に合うものを探していましたが。
なかなか…これという漢方に落ち着く事が出来ませんでした。


そんな中、医師から。
漢方や薬は手助けする物。根元の原因は自分にあると言われました。


それで、私は自分を見つめ直そうと自分史を振り返ってみることにしました。
振り返って納得できる事が多々ありました。

アダルトチルドレンの事もわかったし。


このブログは、書くことで…自分の記憶や頭を整理しようと思って始めました。
エンディングノート感覚で、息子に残しても良いなぁと思っていましたが。
夫の非常さ?をいろいろ書いてしまったので、見せれないです。
息子も夫に非情さがあることは知っていますが、それを自分の母親に向けられていたと分かるとショックだと思うので。

私の病気と義母…

時系列データで書いています。


右目を患ってしまった私。
普段の生活や仕事には、ほぼ支障がありませんでした。
なので、息子には心配をかけたくないので詳細は話していません。
話しても意味のない?義母や夫にも話さなかったです。
障害者認定を受けれるわけでもなかったし。
今の医療では、これ以上良くなることもないです。
左目を大事にしながら、この体と付き合っていかなければなりません。


人間の体って、いつどこで…どうなるものかわからないものだなぁとは痛感しました。
健康に気を付けるという意識より、残った人に迷惑をかけられないという意識の方が強かったかもしれません。


私の両親は、共に69歳で亡くなったので。
私も寿命が短いかも?と。50代の頃から物を捨てていましたが、より真剣に考えるようになりました。


不安と恐怖の毎日。
多分、自分の目が急に弱視(失明に近い)になってしまったことで。
現実には起きてもいない事を”次は心筋梗塞か?”とか”脳梗塞かも?”と勝手に妄想して、自分で不安を作っていました。(最近、少しずつ解ってきました。)


目の手術を受けて、数日後。
義母のとんでもない言動(詳しくは書けないですが)によって、平時120台の私の血圧が200近くなりました。
血圧が落ち着かず、血圧の薬に頼る人生となりました。
私は、この時から義母と関りを絶とうと思いました。
この人とマトモに付き合っていたら、私の方が先に逝ってしまうと・・・
なので、この3月に義母の病院に付き添うまでは…この2年間会話もしませんでした。
先日、義母のおさがりの記事で…義母とはメモのやり取りだけと書きましたが、こんな理由です。


夫は、義母のとんでもない言動の事の顛末は承知していますが。
義母に対して、言って聞かせるとか?諭す?事はなかったです。
言って聞かせて理解する相手なら然りですが、言い訳をして本質を聞こうとしない人なので。夫曰く、時間の無駄だと。
なので…その都度、その都度、注意はしていました。


義母は、自分の言動によって私の血圧が上がり薬が増えたことは知りません。
言ったところで、自分の都合の良いようにしか解釈しない…お気楽な人なので言うつもりもありませんし関わるつもりもありません。


ただ、義母との同居は。私が夫に勧めたので。
義母が病気になったりしたら、付き添いや介護申請など…それなりのお世話はすると言ってあります。
食事も弁当に詰めて、夫に渡してもらっています。
が、普段の生活で関わるのは嫌だときっぱり宣言しました。


私が、大人になりきれていないのか?もっと義母を寛容に見てあげなくてはと思ってやってきましたが。


残りの人生、自分を・・・です。

私の病気と夫…その1。

月曜日から金曜日まではフルタイムで勤務。
家の事をこなしながら働き続けてきました…35年も。
転職をし、失業中だった期間もありますが。
幸い在職中に資格を取得し、それを生かしてずっと働いています。
特に義母と同居してからは、家に居ても落ち着けなくなったので仕事に出ている方が良いと思いました。


息子は、そんなに手もかからなく…母と息子ですが良い関係が築けています。
手のかかるのは、夫の方でした。(私が、そうさせてしまったのですが。)


あの日。
いつものように仕事から帰り、食事の用意、食べて寝て。
朝、4時ころ目覚めました。
目を開けると、右目の前にフラッシュが光ったような?稲妻のような?
おかしいなと思い、トイレに行き左目を抑えてみると…右目の視界がありません。


先に起きていた夫に、目がおかしい。見えなくなった気がすると言いました。
多分、夫はスマホを見ていたと思います。
私は、自分がどうなってしまったのだろうと…自分の症状をスマホで検索しました。
失明するのか?回復するのか?なんの病気か?


夫は、大したことはないと思ったのでしょう。
「早く、弁当を作ってくれ!」と言いました。
私は、弁当を作り・・・「今日は車の運転をするのが怖いから、駅まで送っていけない」と言いました。
夫は、不服そうでしたが、「そのうち見えるようになるわ」と呑気な?他人事?のような言葉を残して出勤していきました。


夫=自分を優先する人です。




朝一で、かかりつけの眼科を受診し沢山の検査をしました。
「大学病院に紹介状を書くから、急いでタクシーで行って下さい」と言われました。
大学病院についても検査、検査。
診断結果は、網膜中心動脈閉塞症でした。
その日、そのまま入院し手術を受けました。
網膜中心動脈閉塞症。
心筋梗塞や脳梗塞と同じで目の血管が詰まる病気です。
詰まった部分によって、視野の範囲が限られてきます。
私は、右目の右方向は僅かに視野が残って光も感じますが、殆ど見えないに等しいです。
なので、今は左目で生活しています。車も乗ります。
やはり、片目なので遠近の感覚やコップにお茶を入れるときの立体視が難しいです。


緊急入院、緊急手術だったので…夫と息子が病院についた時には手術は終わっていました。
特に執刀医から家族に説明もなかったので、夫は私が退院してからでも(無理をお願いして翌日退院) 大した事はなかったんだと思っているようでした。


この病気は、心筋梗塞や脳梗塞のように動脈硬化や高血圧から起因するらしいですが。
私は、毎年の健康診断で指摘されたことはなかったのです。なので執刀医は、原因は不明だと。
ただ、その10ヶ月前の健康診断で右目の視力低下は指摘事項でした。
そして、その数ヶ月まえから喉が焼け付く感じ?胸が焼け付く感じはありました。
どうってことないと自分の体を大事にしなかった罰です。


私の父も脳梗塞で半寝たきり状態となりましたが、父か発症したのは62歳くらいだったと思います。
私は、右目が弱視になったことより…父より早く大変な病気になってしまったとショックでした。この先、どうなるんだろうと。
69歳で亡くなった父よりも早く死んでしまうのかなぁと。
それからは、夜中に目が覚めたり、朝起きるたびに左目は大丈夫か?と心配になりました。


いろいろ不安な気持ちが噴出しましたが、息子にはもちろん。
夫にも不安な気持ちを吐露できませんでした。


あの朝、もう少し真剣に・・・目がおかしいと言った私の言葉に耳を貸してくれたら。
それをしない、できない人だとは解っていました。
なので、失望はなかったですが。
そんな人に自分の不安な気持ちを聞いて欲しい、話そうとは思うことはなかったです。


それから、自分の不安な思いを一人で抱え込むようになりました。
怖い、不安、怖い、不安と。

自業自得と思っていたので自分が不幸だとは思いませんでした。

もっと重い病気にかかって闘病している人もいる。

後遺症に苦しんでいる人もいる。

私には、まだ左目が残っている。

ありがたいと思おう。


ただ、訳の分からない恐怖に怯える毎日となりました。

車を運転していても、風呂に入っていても…

もしかしたら、心筋梗塞になるのでは?脳梗塞になるのでは?

このまま死んでしまうのでは?

と。恐怖が頭から離れませんでした。


そう、あれから少しずつ生き辛くなっていきました。