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還暦を迎えてからの暮らし…いろいろ

私の病気と夫…その1。

月曜日から金曜日まではフルタイムで勤務。
家の事をこなしながら働き続けてきました…35年も。
転職をし、失業中だった期間もありますが。
幸い在職中に資格を取得し、それを生かしてずっと働いています。
特に義母と同居してからは、家に居ても落ち着けなくなったので仕事に出ている方が良いと思いました。


息子は、そんなに手もかからなく…母と息子ですが良い関係が築けています。
手のかかるのは、夫の方でした。(私が、そうさせてしまったのですが。)


あの日。
いつものように仕事から帰り、食事の用意、食べて寝て。
朝、4時ころ目覚めました。
目を開けると、右目の前にフラッシュが光ったような?稲妻のような?
おかしいなと思い、トイレに行き左目を抑えてみると…右目の視界がありません。


先に起きていた夫に、目がおかしい。見えなくなった気がすると言いました。
多分、夫はスマホを見ていたと思います。
私は、自分がどうなってしまったのだろうと…自分の症状をスマホで検索しました。
失明するのか?回復するのか?なんの病気か?


夫は、大したことはないと思ったのでしょう。
「早く、弁当を作ってくれ!」と言いました。
私は、弁当を作り・・・「今日は車の運転をするのが怖いから、駅まで送っていけない」と言いました。
夫は、不服そうでしたが、「そのうち見えるようになるわ」と呑気な?他人事?のような言葉を残して出勤していきました。


夫=自分を優先する人です。




朝一で、かかりつけの眼科を受診し沢山の検査をしました。
「大学病院に紹介状を書くから、急いでタクシーで行って下さい」と言われました。
大学病院についても検査、検査。
診断結果は、網膜中心動脈閉塞症でした。
その日、そのまま入院し手術を受けました。
網膜中心動脈閉塞症。
心筋梗塞や脳梗塞と同じで目の血管が詰まる病気です。
詰まった部分によって、視野の範囲が限られてきます。
私は、右目の右方向は僅かに視野が残って光も感じますが、殆ど見えないに等しいです。
なので、今は左目で生活しています。車も乗ります。
やはり、片目なので遠近の感覚やコップにお茶を入れるときの立体視が難しいです。


緊急入院、緊急手術だったので…夫と息子が病院についた時には手術は終わっていました。
特に執刀医から家族に説明もなかったので、夫は私が退院してからでも(無理をお願いして翌日退院) 大した事はなかったんだと思っているようでした。


この病気は、心筋梗塞や脳梗塞のように動脈硬化や高血圧から起因するらしいですが。
私は、毎年の健康診断で指摘されたことはなかったのです。なので執刀医は、原因は不明だと。
ただ、その10ヶ月前の健康診断で右目の視力低下は指摘事項でした。
そして、その数ヶ月まえから喉が焼け付く感じ?胸が焼け付く感じはありました。
どうってことないと自分の体を大事にしなかった罰です。


私の父も脳梗塞で半寝たきり状態となりましたが、父か発症したのは62歳くらいだったと思います。
私は、右目が弱視になったことより…父より早く大変な病気になってしまったとショックでした。この先、どうなるんだろうと。
69歳で亡くなった父よりも早く死んでしまうのかなぁと。
それからは、夜中に目が覚めたり、朝起きるたびに左目は大丈夫か?と心配になりました。


いろいろ不安な気持ちが噴出しましたが、息子にはもちろん。
夫にも不安な気持ちを吐露できませんでした。


あの朝、もう少し真剣に・・・目がおかしいと言った私の言葉に耳を貸してくれたら。
それをしない、できない人だとは解っていました。
なので、失望はなかったですが。
そんな人に自分の不安な気持ちを聞いて欲しい、話そうとは思うことはなかったです。


それから、自分の不安な思いを一人で抱え込むようになりました。
怖い、不安、怖い、不安と。

自業自得と思っていたので自分が不幸だとは思いませんでした。

もっと重い病気にかかって闘病している人もいる。

後遺症に苦しんでいる人もいる。

私には、まだ左目が残っている。

ありがたいと思おう。


ただ、訳の分からない恐怖に怯える毎日となりました。

車を運転していても、風呂に入っていても…

もしかしたら、心筋梗塞になるのでは?脳梗塞になるのでは?

このまま死んでしまうのでは?

と。恐怖が頭から離れませんでした。


そう、あれから少しずつ生き辛くなっていきました。

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