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還暦を迎えてからの暮らし…いろいろ

振り返る…7。

今思えば、利害関係が一致し結婚したような夫婦。
24歳同士、新婚生活というより・・・若かったのでお互いによく遊びました。


私が結婚した頃、母は最悪の状態でした。
父の借金で首が回らなくなり、公務員を辞めました。
退職金で父の借金を返済するためでした。
借金は返せたものの母の幻聴はひどく、独り言をブツブツ言ったりしていました。
もちろん心療内科の薬も服用していましたが、改善している事はなかったです。
私は、母のそんな状態を知っていましたが・・・もう逃げたいの一心でした。


義母も何年も働かない義父にイライラしていました。
実母と義母に共通なのは、夫によって金銭的に苦しめられていた事。
そして、もうひとつの共通点は、酒に逃げて酒を煽っていた事です。




私が26歳で出産したのを機に、実家と義父母家の空気が変わりました。
母は、父の借金が無くなり幻聴も減り落ち着いてきました。
義母も義父が働きだし、精神的にも安定していました。

初孫の息子が福男になったのかもしれません。


元々、父は子供好きなので、息子の事は可愛いがってくれました。

出産後、しばらくは沐浴させるのに毎日通ってくれ息子を遊びにも連れて行ってくれました。

婿である主人にも良くしてくれました。

お金に余裕があったのだと思います。

基本的に、父は私の事は可愛かったと思います。

が、叩かれた事もあるし怖い存在でした。

私は、幼い頃からの環境で自分がしっかりしないと!と。

ずっと思って生きて来たので、両親は私の結婚後も私を頼りにしていました。

両親は、二人とも他界しましたが、死ぬまでしっかり者の長女と言う役割を果たしたと思います。


そんなふうに60年もの人生を歩んできたので。

私自身も…何があっても動じない自分が本当の自分だと思っていました。

主人と義母を振り返る…2。

主人は、義母から叩かれ塾に連れまわされ物のように扱われてきたのだなぁと想像します。
が、中学生になる時・・・義母に向かって「もう嫌だ!」と言ったそうです。
それから事業をしていた義父の会社の経営が思わしくなくなりました。


主人が義母に本心をぶつけた事より、義父の会社が倒産しかかったことで義母の視界から子供たちは消えました。
今まで、一応は社長夫人だった義母も働かざる負えなくなりました。
何の特技も資格もありません。
服が好きだったので、アパレル業界で売り場に立ちました。


主人が高校入学と同時期に義父は会社をたたみました。
祖父母と主人一家が暮らしていた豪邸は売り払い、祖父母は賃貸での一軒家に。
主人一家も賃貸で一軒家を借りて暮らし始めました。
義父の会社は潰れたけれど、住んでいた豪邸を売却したこと。祖父母に、それなりの預金があったこと。
それで、とりあえずは路頭に迷うことはなかったそうです。


義母は、自分の主人の会社が潰れた事に嘆き悲しむことはなかったらしい。
それより、嫁いでからずっと舅・姑と同居していたので別居になったことが嬉しかったと言いました。
これで、やっと自分たちだけの生活ができると・・・




そんな義母の希望をよそに、義父が働かなくなりました。
私の父と同じように、雇う側から雇われる側になり葛藤があったのかもしれません。
私の父は、タクシー運転手として仕事はし出しましたがギャンブルにハマりました。
義父は、ギャンブルはしなかったですが・・・
主人が、高校1年生から結婚する24歳まで?それ以降も働いていませんでした。
たぶん10年くらいは無職だったと思います。
無職で何をしていたかと言うと、主夫です。
朝から焼酎をのみ、タバコは消している時がないほどのヘビースモーカー、みんなの夕食だけは作る・・・主夫でした。


義父が無職の間、アパレルの売り子だけの義母の収入ではとても賄いきれません。
毎月の生活費、主人の大学の費用など・・・祖父母が補ってくれていたそうです。


主人は、私のようにアダルトチルドレンの要素はなさそうですが、やはり機能不全家族で育ったと思います。
そんな中で、主人も早く家を出たい・・・結婚しかない?と思っていたのでしょう。


お互いをそれほど知らず、それほど好きで好きでと言うわけでもなく結婚した私達夫婦。
お互いの利害が一致したのだと思います・・・家を出る事。

主人と義母を振り返る…1。

今日は主人と義母の事を書きます。


義母は、義父と結婚した時。
嫁ぎ先には、舅、姑、義父の妹や弟がいたそうです。
主人にとっては、祖父母、叔父、叔母ですね。
祖父母は、仕事を引退してからも自宅で・・・祖父は習字。祖母は茶華道を教えていました。
そこそこ格式が高く教育熱心な家でした。


義母は、あっけらかんとした性格で、いろんなことの礼儀作法も知りませんでした。
たぶん、母親を早くになくし父親だけで育てられたからかもしれません。
祖父母は、厳格。小姑達は、義母より賢く礼儀作法や茶華道も優れていたそうです。




いくら、あっけらかんとした性格でもストレスは多々あったと思います。
義父は、事業を起こし国内外を飛び回っていました。
姑、小姑達からのイジメはあったのか?どうかは知りませんが、夫(義父)も殆ど家にいない。
義母は、疎外感やストレスを自分の子供達に向けました。
嫌なことがあると、子供達(主人と弟)に・・・歯を食いしばれ!と言ってビンタしていたそうです。
主人の弟は、病弱だったのでそうでもなかったですが、義母のストレスの捌け口は主人に向かいました。
暴力だけでなく、教育ママになりました。


祖母が教育熱心で、義父や兄弟達は偏差値の高い学校を出ました。
義母は、それを見習おうとしたのか?対抗しようとしたのか?は分かりませんが、主人は小学生の頃から塾通い。
日曜日も模試に行き、自宅で勉強中に眠くてウトウトするとビンタされていたそうです。
その腹いせでか?主人は学校では、いじめっ子だったらしいです。
自分は、母親から叩かれていたから同じように同級生をいじめたのか?


結婚後、このような幼少時代だったと主人と義母から聞かされました。
主人は、本当に嫌な幼少期だったと言いましたが、義母は。
子供にビンタしていた事も教育ママだったことも誇りに思っている?陶酔している?ようでした。
普通、子供を叩いたりして心に傷を負わせたら・・・申し訳なかったと思うのが親、人間だと思います。
義母は、自分のしてきたことは正当で間違っていないと。


だいぶ、冷酷な人、心のない人だと・・・結婚後すぐに義母の事を蔑みました。
蔑みの感情は、今もあります。